Fukushima50を観て
2020/05/07
新型コロナウイルス感染症による外出自粛規制のため、充実したStay Home!
昨日、我が家で「Fukushima 50」を視聴しました。東日本大震災の津波により福島原発で起こったことは、辛い事実として受け止めてはいました。
しかしながら、現場で起こっていたことが映画を通じ迫ってきました。「Fukushima 50」とは、現場で事故が起きた際に現場で作業に当たった50人からとったそうですが、実際は69人いらしたとのこと。
映画でも心迫るものです。実際は、更に想像も絶するような戦いであったのでしょう。停電による真っ暗な原発内で懐中電灯だけを頼りとした作業など、暗闇と閉鎖空間、何が起こるかわからない状況とすべてが不安と恐怖の状況です。私だったらと想像するだけで、足がすくみます。「死をも覚悟」の上の作業です。このような作業に向かう、作業員の心の中には何があるのでしょうか。
「死の恐怖に打ち勝つ勇気」それは、強い責任感からくるのでしょうか。「自分がらやらなくてはいけない!」「自分の命をも顧みず前に突き進む」「自己犠牲」、そのような行動に人を突き動かすその「思い」はいったい何なのでしょうか。どこから来るのでしょうか。
その時の現場では、「自分の命」なんて概念は吹き飛んでいるのでしょうか。
「命」 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/19 14:54 UTC 版)
命(いのち)は、多様で奥深い意味を持つ概念であり、生物の生きる力や期間、生きていく大もとの外に現れる働きのもと。「唯一のよりどころとなる、最も大切なもの」という象徴的な意味もある(例:このラーメンはスープが命だ)。人間の命は特に人命と呼ばれることがあり、人命は第一に守られるべき(最も尊ばれるべき)であるという社会的通念がある。となっています。
ということは、「最も尊ばれるべき人々の命」を守るという使命感なのかもしれません。すごい力です。
キャリアコンサルタントとしても命題です。勿論、原発の作業員のみならず、被害にあわれた多くの方の心の内を察すると言葉にならないというのが正直なところです。
映画後半に、今は亡き福島第一原発の吉田所長が、部下の伊崎当番長に送った手紙に、「俺たちは自然の力をなめていた。自然を支配していたつもりだ。慢心だ。」と書かれていました。
現在世界で起こっており新型コロナウィルス感染症の拡大も、正にこの言葉がふさわしいように思います。
自然の中に生きる私達、自然の中で生かされているのだと謙虚にすべきことを考え、新しい明日に向かって前向きに生きていかなくてはいけないのだと思います。一歩一歩!
是非、映画館に行ける状態になりましたら、見ていただきたい映画です。外出自粛規制が解除され、自然と大いに楽しむことが出来るときはもうすぐきます。
皆で協力して乗り越えましょう!